今日リワークで、このリワークのプログラムの監修に携わっている精神科医の方の2回目の講義がありました。
2回目の講義は「発達障害」。
わたしは当事者ではないため、あまりピンとこないといえばこなかったものの、
ASDの説明のなかで、特徴のひとつとして、忘れることが苦手で、失敗体験が積み重なってトラウマとして蓄積する、とあって、自分もそういう部分はあるな、と程度の差があれど、すこし当てはまる部分がありました。
わたしは適応障害のみで、先生からも手帳とかが必要なあれじゃない、といったことを言われているので、違うのかもしれない。
けれど、生き辛さは感じているから、休職からのリワークになっているわけで。
名前のない生き辛さと向き合っています。
今回の講義を受けたあとの質疑応答で、当事者の方で、発達障害と名付けられたことで、こういう人なんでしょう、というかカテゴリ分けされることに違和感を感じているというような声がありました。
カテゴリ分けされたゆえの辛さ、名前のないことに立ち向かう辛さ、どちらがどうということはなく、自分と向き合って、社会との折り合いをつけなければいけないのは変わらない。
分かり合える部分、全く分かり合えない部分、あるのは社会と一緒。
違うからこそ、学びになっているように思いました。

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